生活と、そのほかのこと 3/18号
こんにちは、フジイです。昨年末にニュースレターをお送りしてから、しばらくあいだが空いてしまいました。お変わりありませんでしたか。
ほんとうは、1月3日にニュースレターを出そうと思っていたのだけれど、1月1日に発生した能登の地震と、そのあと起こったこと、それからいろいろなことがあって、それまでと同じように同じことを進めていくのが難しくなってしまいました。
Blueskyだったり、しずかなインターネットだったり、別のところには今までとあまり変わらずにテキストを書いていて、だからこのニュースレターがなくてもそれほど変わらないかもしれないなと思っていました。でも、やっぱりこの「メールが送られる」という感じは、なにか特別な感じがする。それを確認してみようと思って、あらためて書いてみています。
この写真は、京都のどこかの駅で撮ったものです。わたしは孤独になってしまった公衆電話が好きで、見つけると写真に収めるようにしています。Blueskyのヘッダも公衆電話の写真にしています。あれは大阪。以前は複数の電話機が置かれていて、携帯電話が普及したことでほとんど使われなくなり、でもまったくなくしてしまうのではなくひとつは残しておいたほうがいいだろうと判断されて、結果的に孤独になってしまった公衆電話が残されている。なんだか好きなんですよね。
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谷崎潤一郎の『細雪』を少しずつ読み進めています。いま、長女たちが東京に引っ越すという話になっているところ。現代の感覚ではちょっと考えられないような、でもほんの少し前までは普通だっただろうし、なんなら現代でもまだ一部には残っていそうな、「家」にまつわる話。
読んでいて、書きたいなと思った部分があって、ペンで便箋に抜き書きをしました。
古今集の昔から、何百首何千首となくある桜の花に関する歌、――古人の多くが花の開くのを待ちこがれ、花の散るのを愛惜して、繰り返し繰り返し一つことを詠んでいる数々の歌、――少女の時分にはそれらの歌を、何という月並なと思いながら無感動に読み過して来た彼女であるが、年を取るにつれて、昔の人の花を待ち、花を惜しむ心が、決してただの言葉の上の「風流がり」ではないことが、わが身に沁みて分るようになった。
ちょうど、このあたりでも梅の花が咲き始めていたり、桜の花のつぼみが膨らんできたりしていて、ああ、ほんとうにそうだなあと思います。
『SFマガジン2024年2月号』を図書館で借りてきて、「ここはすべての夜明けまえ」を読みました。とてもよかった。思いがけない一文で、ぶわっと涙があふれてきて、すごいものを書いてくれたなあと思いました。今回の文体がこんなふうな口調になっているのは、たぶんその小説を読んだ影響です。
1月3日にニュースレターを出せなかった変わりに、しずかなインターネットにこういうことを書いていました。
どうか、今年がよい年になっていきますように。よいことも悪いこともあるだろうけれど、前を向いていられる年になりますように。
次回は、また近いうちに。
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